さて先日6日に完成した新MV[愛し命]。
この曲が出来た時、なんかやっと解き放たれた気がしました。
この謌も例のごとく出来るまでの記憶がないのだが、
この謌には、私の根幹にある生への執着と、
そこから辿り着いた私の生きる軸が込められていると思います。
[ 歌詞 ]
靡(なび)く衣 幾つの風が
やって来ては 還っていったろう
愛し命 無数のひとつを想ふ
哀しいくらい 嗚呼 刹那の切なさ
此処へ降りた 確かな理由は
分からないままだけれど
愛し命 無数のひとつを想ふ
なにが出来る 刹那の尊さ
愛し命 無数のひとつを想ふ
与えられた時間(とき)
拡がる私 無限の魂
何がしたい この手

この曲が出来たのは1年ちょっと前くらい?
この軸に辿り着くまでに沢山葛藤しました。
(今日は個人的なお話だからね!)
頭の正しさと、心の正しさが、必ずしも一致することばかりではなくて、
そんな時自分にとって何を一番とするかというのを持っていれば
きっともっと強くなれただろうけれど、
それを選択する勇気も根拠もなくて、弱くて、計算もしてしまって、
二つの相反する声に分からなくなったりもしました。
周りの人の喜ぶことや、みんなの価値観が、自分のそれと異なっていて、
頭では「どうした方がいい」と分かっているのに、
心のどこかでずっと「違う」「違う」と声がしていて、
だけど耳を塞いでいました。
恋愛でも音楽界隈でも人間関係でも、人の価値観と違う自分が
頭で考えると受け入れられなくて、
「こうであることが正しい」とか「こうした方がいい」
って、自分で勝手に決めつけていた。
頭で考えて選んだ道の方がまだ、心に従うより根拠がある気がした。
根拠がある方が、幾分安心できた。
でも心は、私の願いに反して、思い通りにはならなかった。
周りの人は良いことと見ることでも、それに比例するように、
私の心は疲弊していくばかりだった。
少しずつ受け入れられるようになってきた事もあったけど、
まだまだ覚悟しきれなくて、信じれる根拠もなくて、
”何が正しいのか、正しさとは何か”、が沢山あった。
そして疲弊しきった時、
”なんのために生まれてきたんだろう”
と考えるようになった。

それから色んなことを経験して、
頭で考えた方を取って人が良いと言ってくれても、
自分がちっとも幸せにならない様子や、
本当に私を見てる人は見抜いて私が本当に幸せな時幸せになる、という様子を見てきて、
自分にとって何が大切で真実なのか、考えました。
昔このブログでもチラっと言ったことがあったかもしれないが、
そして理解されにくいこと(スピリチュアル系っぽい)かもしれないが、
私はずっと死ぬのが嫌だという想いが強かった。
来世は信じてなくて(というより、来世があったとしても記憶が引き継がれていなければ、”転生してる”というお得感がないから、実質来世はないと思っている)、この命が尽きる時が必ずあって、消えれば、”私”は、こうして思考している”私”は、シュって、消えてしまうのだ。シュって。消えてしまうのだ。
それが物凄く怖くて、でもそれをちゃんと想った時、
全てをとっぱらって私はどうしたい、と聞いた時、
答えが見えてきました。
そして、怖いけど、それらを認めて解き放ってあげなければああきっと後悔する、と思いました。
たとえそれで寿命が縮まってしまっても、いい、と思いました。
私の中には、いつも私が選ぶことのできない答えがあって、
私はそれを全力で放してあげなければいけないようです。
私と、奴がいて、私は奴の選ぶことに、両手をあげてついていってあげるしかない。
奴が選ぶものに「やばい、それはやばい」と思うこともありますが、
もうどうとでもなれ。
最期に目を閉じる瞬間に、儂らが納得いってることがもっとも大事。

MVはその選択の大きなひとつでした。
”世界に行く”って意味わからん表現をしてたものを実現させようとして、
沢山の時間を使いました。
技術習得に時間の多くを使う、と決めた時
ある日、音楽仲間のこにたんと上野さんに車の中で「私、技術班になる」って言った時ポカンとされたのを覚えていますww(うまく説明できなかったw)
いやはや、「ですよね~ww」ってなったわw
音楽をやる人が動画にこんなに力を入れて、
それが誰にとって何になるのかも、
応援してくれてる人にとって喜んでもらえることなのかも全く分からなかったけど、
だけど私の中ではどうしても真実で、
音楽は映像のためにあって、映像は音楽のためにあるという真実があって、
みんなにも、見たことないもの見せてみたくて(まだ入り口だけど)、
選ばせて頂きました。

この曲に辿り着いてから、
分からなくなった時はこの謌を思い出します。
すると魂の本当の声が聞こえて、選ぶべきものが見えてくるんです。
(なんだこれは、宗教っぽいぞw しかしほんとにそう感じる。)
そしてあれからずっと考えてきて、
この命が願うのは、
思考し続けること、
うたうこと、
世界(作品)を創ること、
人を笑顔にすること、
それらを通じて”私”を使い切り、
この世に”私”を遺すことだということが分かりました。
それが時に音楽ではない場面もあると思います。
選んだものが、この大きな宇宙の中でなんの意味があるかも分かりません。
でも全ての時間を、
この一点を想い、
不器用ながら生きようと思います。
人生は短い。
これは私だけの、
たったひとつの、

こんな超個人的な話、最後まで読んでくれた方、ありがとうね!
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